2005年1月21日

いま、会いにゆきます / バベルの犬 - 彼女たちの選択、ぼくらの選択

モーフィーに初めて会ったのは、鶴ヶ島のブリーダー宅だった。
黒ラブのメスというのがぼくたちの希望で、条件に合う子犬は2匹いた。
若干チョコがかった毛色の子は見るからに元気が良く尻尾をふりながらじゃれついてくる、鼻先に彼女とのじゃれ合いで作った傷がある真っ黒い方の子は、奥さんにしがみついたままなかなかこちらに来ようとしない。
気の弱そうな彼女の方を、ぼくは選んだ。

もしも、もしもその先に経験することになる様々な苦労やその後に得る強い絆を、いくつものやさしい思い出やそれ故の別れの耐えがたさを、その時確かに知っていたとするならば、ぼくはそれでも彼女との生活を、他の動物や他の犬ではなく彼女を、選んでいただろうか?
あるいはあなたは、あなたの大切な誰かを選んでいただろうか?
彼もしくは彼女が連れてくるあなたの未来を、あなたは選ぶだろうか?
たとえその選択に、耐えきれないほどの辛い結末があらかじめ約束されていたとしても......?


「バベルの犬」キャロリン・パークハースト

大学教授ポールの最愛の妻レクシーが、彼の留守中に庭のリンゴの木から落ちて死んだ。
警察は事故死と判定した。
事故死? わざわざリンゴの木に登る理由なんて思いつかない。
自殺? キッチンには死の直前にステーキを焼いた形跡がある。
それに自殺する理由なんてない、二人は誰よりも深く愛し合っていたのだから。
その瞬間すべてを目撃していたのは、ローデシアン・リッジバックのローレライだけ。
あなたならどうしますか?
彼は、真実を知るためにローレライ(犬ですよ)が言葉を話せるようになるよう、訓練を開始するのである。ウソだろ、おい!という感じの導入で小説は始まる。
彼は、彼と彼女の出会いから彼女の死までの出来事を、訓練の合間にひとつづつ思い出していく。
しかし、彼女が死の直前に一つの大きな選択をしていたことを、彼は知らない。
その選択とは...?

「いま、会いにゆきます」市川拓司

あまりにも有名になったこのいささか感傷的に過ぎる小説のテーマも、やはり「選択」ではないか。
小説のヒロイン澪は、ある夏の日ある重大な選択をしてある人々に、会いにゆく。

六月のやさしい雨、森の中の廃屋、エンデの「モモ」、死んだ人間が暮らす星・アーカイブ星、誰よりも愛し誰よりも愛してくれた美しい妻とその想い出、忘れ形見となった彼らの息子。
これで泣かなかったら人間じゃない、と言わんばかりの道具立てでずるいことこの上ない。
しかし、心をゆさぶる小説とはたいていずるいものなのです。

重要な登場人物(といってもこの小説の登場人物は片手で足りる)に、妹の看護に一生のほとんどを費やして抜け殻のようになったノンブル先生とその飼い犬プーがいる。
小説の後半でノンブル先生は病に倒れて入院し、飼い主を失ったプーは路頭に迷うことになり結局は失踪し行方がわからなくなってしまう。以前の飼い主の元で声帯除去手術を受けたプーは声を失っているのだが、ノンブル先生と暮らした家を離れる時に、風のような声にならない叫び声をあげる。
終始主人公とその失われた妻を中心に語られるこの物語の中で、このエピソードだけが妙に不自然に挿入されている。そのことには、きっとなにか意味があるのであろう。


この二つの小説のヒロイン達は、いずれも重大で決定的な人生の選択を行う。
そしてそれは生きることを意味し、同時にまた死を意味する選択であったのだ。
ぼくたちは、その決意の意味する勇気と愛、そしてその選択に秘められた不思議な必然性に激しく心を打たれる。

言うまでもなく、我々も日々何かを選択して生きている。
好むと好まざるとにかかわらず、意識的にせよ無意識にせよ。

結局のところ、ぼくたちは誰も彼も
自分にしか成し得ない、自分にのみ価値のある、自分にとって必然的な、
「選択」を行いながら自らの日々を生きていくしか出来ないということなのだろう。
時々、声にならない叫び声をあげながら。
なんちゃって。


妻の呼ぶ声がする(これもまた一つの選択の結果だ)。
どうやら夕食の準備が出来たようだ。

いま、食べにゆきます

なんちゃって。。。

投稿者 かえる : 23:00 |

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『いま、会いにゆきます』

いま、会いにゆきます市川 拓司著-----------------------------------------------------------はい、今話題の本。利用している区立図書館では80人くらいの予約者がいたにもかかわらず、2ヶ月弱で手元に来た。...

 【活字・活動画】 : 2005年2月5日 19:30

コメント

かえるさんおはようございます。

人間は産まれた時から”選択”の繰り返しですね。
その繰り返しの末に今が存在する訳で・・・
あの時右を選んでいたら、あの時左だったら・・・
幸か不幸か変えられない今を生きてる自分が居ます。

選ぶということは必要な物を残すことだけど
不要な物を切るということでもあるんですよね。

投稿者 ウイパパ : 2005年1月22日 09:16

おはようございます。
拙い読書感想文シリーズまで読んでいただき、ありがとうございます。

そうです、人生取捨選択の連続です。
ぼくなんか居酒屋で毎回死ぬほど悩みますね。
やっぱもろきゅうは必要だよなぁ、生牡蠣は食べないわけにはいかないし、シマアジの刺身もおいしそう、つくねもいっとくかぁ、スタミナホイル焼きっていうのも気になるぞぉ.........みたいな。
あんまり捨てる方は得意じゃないみたいです。。。

投稿者 かえる : 2005年1月22日 11:00

TBよろしくお願いします。
モーフィーちゃんを見て思い出しました。私は昔ゴールデンを飼っていました。脳の病気で逝ってしまいましたが・・。
今はロシアンブルーという種類の猫を飼っています。
それぞれの生き物の一生の中で、逆に私はどういうモノなんだろうとか考えてしまいます。そう思うといとしくて、つい寝ている彼女のお腹に自分の鼻先を突っ込んでしまいます。
原作は読みましたがその後映画化されたものはまだ観ておりません。世間の熱がすっかり冷め切ったあたりで観ようと思っています。

投稿者 蓮如 : 2005年2月5日 19:36

蓮如さん、TBありがとうございます。
ぼくも映画の方はまだ見ていません。(「いま会いに〜」の方ですよね?)

ホントにヤツらはどう思ってるんでしょうねぇ。
一度でいいから頭の中を覗いてみたいですよ。

投稿者 かえる : 2005年2月5日 21:16

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