2008年8月20日

生きてることが辛いなら...

今日、ラジオから流れてきた森山直太郎さんの「生きてることが辛いなら」を初めて聞いて、おぉーコレは良い曲だなぁ、と思った。
彼の歌い方とか声とかは、実はあまり好きではないのだけれど、この詞は(曲も歌唱も)実に素晴らしいと思った。(余談だが、この季節になると「なぁ〜つのお〜ゎは〜りぃ〜」というフレーズが頭の中でグルグル回って、とても困る。なんとかならないのだろうか....)
基本的にコンプレックスが多くイジケた人間なので、こういうのはついついグッときちゃうのだ。

で、そういえばずいぶん前に、「森山直太郎がコンサートで歌った曲の歌詞が物議をかもしている」みたいな報道を目にしたなぁと思い、もしかしてこの曲のことなのだろうか?と、あらためてネット上を検索してみてちょっと衝撃を受けてしまった。

簡単に言うと、この曲の詞が「生きてることが辛いなら いっそ死んでしまえばいい」という主旨で自殺を幇助する可能性がある、と一部の人に指摘され問題になっているということらしいのだ。
いやもう、ビックリしたのなんのって...................
どのくらい驚いたかというと....(なにぶんオッサンなので、古い話で恐縮ですが....)今を去ること数十年前にさだまさしさんが「関白宣言」という曲を発表した際、「歌詞の内容が男尊女卑の思想に満ちていてケシカラン!」みたいな批判が巻き起こり、「いったい全体、この詞のどこを読んで男尊女卑というメッセージを読み取ることが出来たのだろう???世界は実に多くの謎に満ちているのだなぁ.!!!!!!」と当時小学生だった(か中学生だったかの)ぼくちゃんは驚愕したものですが、その時と同じくらいにビックリしたわけです。
どこをどう読んだら、この詞が「生きてることが辛いなら いっそ死んでしまえばいい」という解釈になるのだろう???、と最初は素でわからなかったのですわ。

あまりに不思議だったので、さらにあちこち拾い読みしてみると、一番問題になっているのは冒頭の「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい 恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り」という部分であり、最後に「生きてることが辛いなら 嫌になるまで生きればいい」とあることから、全体的なメッセージとしては自殺を勧めるような内容でないことはわからないではないものの、「歌詞の一部分だけ耳にする可能性がある」(そして自殺を考えるかもしれない)ということで、一部コンビニでは店内での放送自粛措置までとっているらしい。
要するに大筋では、この曲に批判的な人は「たとえ逆説的な表現であったとしても、安易に「死ねばいい」などと歌うのは問題だ」と感じ、好意的な側の意見としては「詞というのは全体の文脈で判断するものであって、一部のフレーズだけをとりあげて批判するのはおかしい」と主張している、という構図のようだ。

で、ここに至って、ワタクシ的にはさらに?マークが頭の中に5000個くらい点灯してしまったワケです。
どういうことかと言うと、ぼくの印象では「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」というその問題のフレーズの「小さく死ぬ」というのはどう考えても「肉体的な死」を意味しているとは思えず、これを「生きてることが辛いなら いっそ自殺してしまえばいい」と受け取る人がいるなどという可能性は、まったく思いつかなかったからである。つまり、全体を読むまでもなく、どの部分を取っても「いっそ(実際に)死んでしまえばいい」なんて書いてないじゃん???という疑問である。
この「小さな死」とは、まさかチャンドラーの「長いお別れ」のフレーズを意識したわけでもあるまいし、開高健のエッセイに出てくるフランス語(イタリア語だったかも)の慣用句のアレでもあるまいし、なんというかその(付随する具体的な行為は色々あるだろうが、概念としては)「思いつめていることをあきらめて一度ドロップアウトしてしまうこと」「思い描いていた人生のレールから一度下りてしまうこと」「大切にしていた、夢だったり、理想だったり、仕事だったり、心の一部だったりを一度消し去って捨ててしまうこと」みたいな意味だと個人的には感じていた。「死」に大きいも小さいもあるわけはないのだから、作詞家がわざわざ冒頭で「小さな死」という表現を持ち出したのは、「ここで言う死は肉体の死を意味しているわけではない」とあえて明示的に宣言したという風に考える以外にない、と思っていたのです。細部は異なるにしても、大体そういったイメージ以外の解釈があり得るのだとは、ほとんど予想もしていなかったのだ。

ところがですねぇ、この「小さな死」を「人知れずひっそりと命を絶つこと」「他人に迷惑をかけないカタチで死ぬこと」「(自然死に比べ)自殺することはちっぽけな死に方」みたいに解釈している人が多いらしいのです。
それ以外にも、「こ、こんな受け取り方もあるのか!!!」と自らの想像力の至らなさに情けない思いをするコトしきり。

(よくあることなのだが....)、もしかしてぼくの感じ方の方がヘンで、どちらかというとマイノリティなのかしら.......???
例えば、本の話とか映画の話とか音楽の話とか人としていて、「えぇ〜!!!、アレってそういう意味じゃないんじゃないの〜」とお互い言い合ってしまうことが多いので、何だか自信なくなってきちゃいました。
はぁ。

ともかく、表現者にとっては、なんともキビしくツラい時代になってきているようだ。
個人的には、やはり素晴らしい詩だと思うんですけどねえ。。。



「生きてることが辛いなら
悲しみをとくと見るがいい
悲しみはいつか一片の
お花みたいに咲くという
そっと伸ばした両の手で
摘み取るんじゃなく守るといい」


生きてることが辛いなら
作詞:御徒町凧 作曲:森山直太朗

投稿者 かえる : 23:41 | 音楽

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コメント

あなたは幸せな生き方をされて健康で元気な方ですね。
元気な方には。あなたの解釈が出来るのです。当然です。
しかし、本当に生きてる事が辛い、生きてることが嫌になった人が居る事をご存知ですか?今日本では年間3万人以上の方が自殺されてます。死にたいと思っている方はその何十倍もおられる事でしょう。
本当に死にたいと思っておられる方の気持を理解できますか?想像出来ますか?
そういう方々の相談を24時間電話で対応して何とか思い止まらせようと頑張っておられる方がおられる事もご存知ですか。
どんな意味が事情が有ろうとも、「生きてることが辛かったらいっそ死ねばいい」と言う言葉は使ってはいけないのです。私は詩は人の死と生きると言う重いテーマに対して言葉の遊びをしながら造られた、全くレベルの引く詩であると思います。今人権問題で、使ってはならない差別用語が決めれれています。それと同じです、使ってはいけないことばなのです。
すでに子供の間ではいじめにこのフレーズが使われ出したようです、この詩を理解できないやつが悪いのだ〜で済まない現象が現れ出しています。恐ろしい歌です!!

投稿者 森田英義 : 2008年9月10日 01:48

森田英義さん

はじめまして。
コメント、ありがとうございます。

まずは、今一度文章をよく読んでいただければおわかりいただけると思うのですが、この記事でぼくが書いたことは「同じ言葉を聞いても、人によってまったく受け取り方が違う。ぼくがAと感じたことに対して、Bと感じる人が世の中には大勢いるようだ。最初は想像もつかなかったのだが、もしかしたら、ぼくの感じ方の方が少数派なのかもしれない......」ということです。
少なくても「この詩を理解できないやつが悪いのだ〜」という趣旨ではないことをご理解いただけると助かります。そもそも、別段ぼくもこの詩を「理解」しているつもりはありませんし、「理解」しなければならないとも思っていません。

あらためて考えてみれば当然の話ですが、絵画にしても、詩にしても、小説にしても、映画にしても、なんでもそうですが、作品の解釈が人によって異なるのは当然のことです。
だからといって、表現者はその表現に接する可能性のあるすべての人がまったく同じ解釈を行うような表現でないと作品を創造してはならない、のでしょうか?
ぼくにはどうしてもそうは思えません。そもそも、現実的にも不可能だと思います。
「愛してるぜベイビー」という詞の一節に接して、「わたしは「愛してる」なんて生まれてから一度も言われたことがない(あるいは、かつてそう言われた人から昨日裏切られたばかりだ。etc.etc...)。こんな言葉を聞いたら死にたくなる」と感じる人が「絶対に100%いない」とはぼくには断言できませんし、たぶん作詞家にも判断できないでしょう。

もちろん、時代やその他の事情によって、その社会において「許される言葉、許されない言葉」というのは存在すると思います。しかし、その線引きを芸術活動を行う表現者そのひとに求めるのは適切でも合理的でもないとぼくは考えています。
自殺者が年間数万人にもなる今の日本で、「生きてることが辛かったらいっそ死ねばいい」と言う言葉を流通させるのは適切ではない、というのはひとつの考え方としてわからないではありません。場合によっては、ある種の規制が必要となるケースもあるかもしれません。
しかし、その場合、その要請はメディアや発売元のレコード会社に対して行われるべきであって、解釈の分かれる言葉を使って作品を創造した作詞家や歌手に非難が向かうべきでは(少なくても、集中するべきでは)ないとぼくは感じています。
もっとも、そもそも文中でも触れているようにこの曲で「生きてることが辛かったらいっそ死ねばいい」などという表現は、ただの一カ所も使われてはいないんですけどね.................???

現在の日本では、社会的弱者という立場をとった匿名の個人が(結果的にある方向性をもった集団となって)、世間的には強者と認識されている人間を、主にインターネットメディアを使って攻撃するという現象が連日のように起こっています。しかしこれは、相手の手足を縛った上で(社会的弱者となんら変わることのない)一個人を集団で殴りつける行為、のようにぼくには感じられます。
この構図、この構造は、まさに「いじめ」に他ならないと森田さんはお感じになりませんか?

いじめに利用しやすいフレーズがあるから子供の間で「いじめ」が発生するのでしょうか?
ぼくはいじめたこともいじめられたこともありますが、子供は「いじめよう」と思うから、それに利用可能な言葉をどこからか見つけてくるのではないでしょうか。
連日ニュースで、まるで「有名人でもお金持ちでもスポーツ選手でも政治家でもちょっとしたきっかけでいじめられる。そんな人に一定の理解を示したら今度はその人がいじめられる。自分がいじめられないうちにいじめる側にまわって誰かを攻撃した方がいいんだよ」とでもいうかのような報道が繰り返されていたら、いくら言葉で「いじめはよくない」と言っても、子供が信用しないのは当然だとぼくは思います。
子供は、大人の行動や、社会の風潮に、驚くほど敏感ですから。

ところで、森田さんはなぜぼくが「幸せな生き方をされて健康で元気」とお思いになられているのでしょうか?
たぶんそんなことはどこにも書いてないし、第三者にはわかりようもないと思うのですが......?!

投稿者 かえる : 2008年9月10日 12:02

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