2006年6月18日

映画の学校

映画館「大宮ハタプラザ・ハタシネマ」が、本日をもってその30年に渡る歴史に幕を下ろすという。

ここは、ぼくの映画の学校。
子供の頃は、映画好きの叔父に毎週のように連れてきてもらっていた。
「ベンジー」も「がんばれベアーズ」も「アドベンチャー・ファミリー」も「スター・ウォーズ」も「地獄の黙示録」も、トリフォーも黒澤明もスコセッシも角川映画も、ここか大宮オリンピアではじめて観たのだと思う。

もちろん、その後も映画鑑賞といえばここがデフォルトだった。
時には一人で、時には友達と、そして結婚する前のモータンと二人で、スクリーンの前で泣いたり笑ったりハラハラしたり、ついでにボーリングしたり。
とにかく、数え切れないほど足を運んだ場所である。

オープン当時の謳い文句は「東京と同時封切り」とのことだったらしいが、ぼくの印象としては、よほどの人気作以外は2本立てで上映しているお得な映画館、という感じであった。
でも、それが地方都市映画館故のいいところだったと思う。オマケに併映された作品の方が、はるかに面白かったことも度々あったのだ。

これも時代の流れだから仕方がないのだろう。
そもそもぼくも、ネットで予約して列ばずに済むシネコンが出来て以来、すっかり足が遠のいている。
なんだかさびしい、と思うのも勝手な話ですね。

思えば子供の頃、映画を観るということは、ホントに特別なことだった。
テレビ放映なんて数年後だったし、レンタルビデオ店なんてなかったから。
ローカルな焼き肉屋だの、婚約指輪だの、毎度お馴染みのCMが終わった後、カーテンが全開していよいよ本編が始まる。
あの瞬間の、なんとも言えないワクワク感は、今でもはっきり覚えている。
ここではないどこか、へ連れて行ってもらえる幸福な時間の始まる瞬間。

ありがとう、大宮ハタプラザ・ハタシネマ。
そして、さようなら。

投稿者 かえる : 18:07 | 映画

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.blacklab-morphee.com/blog/tt_tb.cgi/1313

コメント

映画ってどこで観たってことが、かなり印象に残っていますよね。僕にとってのハタも色々な思い出の場所です。その時の感動や衝撃がその映画館の風景とセットでよみがえって来る。銀座あたりの大人の雰囲気でいっぱいの映画館や、浅草の小さな映画館。電車が通ると揺れる渋谷の映画館や地方都市のさびれた映画館。独特の匂いがあって・・・。コンクリート打ちっぱなしのフロアー。破れた椅子のモケット。地元商店街のCMなどなど。これからの若い人たちには映画館って言うのは基本的に綺麗で音響が良くて快適で・・・。どこで観たなんて事は忘れてしまうのでしょうね。

投稿者 とーちゃん : 2006年6月19日 11:35

昨日で閉館してしまったんですかぁ。。。
知らなかった!!
私もここにはかなりお世話になりました☆
子供の頃は家族揃って、少し大きくなってからは友達と…何度足を運んだことでしょう。
最後に行ったのは2年前。
映画ではなくてピンポンをやりに行きました。
閑散としたなかで私たちの歓声だけが響いていたような…
これも時代…と言ってしまうには少々寂しいものがありますが、実際私の足も遠のいていたのは事実だから、仕方の無い事なんですね☆

私も……ありがとう、大宮ハタプラザ・ハタシネマ。
そして、さようなら。

投稿者 ルナまま : 2006年6月19日 13:06

とーちゃんさん
ぼくは、いわゆる名画座みたいなところがけっこう記憶に残っています。
飯田橋ギンレイホールの「ギンレイ」ってなんだろう?、って子供心に不思議に思ってたり。
あの頃の映画館につきものの、おしりが痛くなる安物の椅子って、なんだか郷愁を誘いますよね。
あと、さびれた映画館でしか売ってない聞いたことない銘柄のポテトチップスとかあるんですよね〜。

大宮にワーナーマイカルが出来た時、待たなくて済むそのシステムの合理性、オープニングに上映される劇場案内のショートアニメのあまりに素晴らしい出来の良さ、既存の映画館が失ってしまったワクワク感の演出、等々に感動し「旧態依然として、なんら努力をしない既存の映画館から人が離れていくのは当然だし反省して欲しいね」と思ったものですが、日本全国同じ作りのシネコンばかりになってしまうのも、やはり寂しいですね。
とか言いつつ、早く浦和駅前のシネコン完成しないかな、とも思ってたりして。
まあ、人間とは勝手なものです.......................

ルナままさん
そうなんです、土曜日の朝刊に書いてありました。
さよなら上映として、セカチューが900円で上映されていたらしいです。
ルナ家からは、歩いて行ける場所ですものね。いろいろ思い出深い場所だと思います。
そういえば、ピンポン....ありましたねえ。
時代時代で、卓球台が増えたり、ビリヤードコーナーが出来たり.............
ちなみにぼくは、あそこでエアホッケーをするのを楽しみにしていました。

ところで、閉館後は何になるんですかね?
ドッグカフェ、室内ドッグラン、ドッグプール、ドッグスポーツ用の室内トラック、ドッグヨガスタジオ、等々併設の巨大ペットレジャー施設に変身...............はないかな?!

投稿者 かえる : 2006年6月20日 01:29

こんにちは!
ゆずぽができてから久しく大宮に足を運んでいなかったのですが、なくなってしまったんですね。。。
私も、高校時代に何度となく通い、映画を見たりボーリングしたり卓球したりビリヤードしたり。。。
思い出の場所がなくなってしまうのは寂しいことですね。
隣にあったバッティングセンターもなくなっちゃうのかなぁ?!
駅から微妙に遠いけれど、あそこまで往復する時間のおしゃべりも楽しかったんだけどなぁ。

投稿者 ぱふまま : 2006年6月20日 20:32

ぱふままさん
先ほどはこんばんは、でした。
今度、ゴキブリの上手なつかまえ方を教えて差し上げましょう。
ていうか、その前にパパが虫に触れるようになった方がいいような......
ゆーたん、成長して「昆虫採集に行きたい!」とか言い出したら、どうなるんでしょ?!

バッティングセンター、そんなものもありましたっけ。
それに、駐車場も含めたらかなりの敷地ですものね。
これから、どうなるんですかね?

駅から近いワケじゃないけど、余裕で徒歩圏内でしたからね。あそこがなくなると、徒歩で気軽に行ける映画館が、大宮からほとんどなくなってしまうわけです。
お年寄りとか、中高生には、ちょっと気の毒かも。

投稿者 かえる : 2006年6月20日 23:39

昔はレンタルビデオなんて無かった(僕が大学生の頃にポチポチ出始めました)から、金のない学生には2本立て映画館は貴重でした。僕もハタシネマには良く通ったな〜。ところで「がんばれベアーズ」って、これまた古い。かえるさんはずっと埼玉の人?

投稿者 wanrei : 2006年6月21日 20:14

大学生の頃の体力だと、徹夜でやってる「ゴッドファーザー1、2,3、一挙上映」みたいなものもOKでしたよね。
今やったら死ぬかも........

がんばれベアーズのテイタム・オニールに恋したのよ、小学生のぼくちんは。マジで。
ちなみに、スピッツの草野さんが、ラジオで似たようなことを言っていたので、勝手に親近感を抱いてます。そういえば、たしかスピッツに「大宮サンセット」って曲がありましたよね。
「さよなら、ハタシネマ」っていう歌も書いてくれないかしら。

ぼくは父親の関係で本籍地は福島でしたが、大宮で生まれ、幼稚園の頃から北本で過ごし、高校入学からは東大宮の祖父の家に居候していました。
その後、結婚して前から好きだった浦和に引っ越したという、根っからの埼玉県人です。
wanreiさんは、ずっと浦和なのかな?

投稿者 かえる : 2006年6月21日 21:12

かえるさん 今晩は!
埼玉ネタだったので意味も無く突然参加させてもらいます。
自分は桶川生まれの鴻巣育ち、一人暮らしで浦和、結婚して川口
大宮ハタシネマは高校ときデートに数回利用程度で残念ながら
緊張のあまり何を見たかさっぱり記憶になく、西口の
MACやそごうの方が記憶が濃厚です。
思い返すと吉牛の横抜けて道路出て・・・かなり記憶が薄くなってます。
またもや参加しかくなし!!拙者切腹!!(古)

投稿者 mone : 2006年6月21日 21:35

moneさん、こんばんは!
遠慮せずに突然参加してくださいな。
moneさんも生粋の埼玉県人なのですなあ。
ちなみに、妻の実家は昔桶川で鮨屋をやってました。

と、ところでmoneさんってかなりお若いですね?
ぼくが高校生だった頃、西口は再開発の真っ最中、そごうはまだなかったような気がします。
マルイのDCブランドが最先端ファッション、「ぼてじゅう」の変なお好み焼きとか、向かい(たぶん)のお店のラーメンセットがごちそうでした。

そういえば、たしか大宮JACKのファッションフロアが「原宿が大宮にやって来た!」みたいな世にも恥ずかしいキャッチフレーズでオープンした記憶が............
絶対、大宮に原宿なんてやって来ませんから〜〜〜〜〜〜〜残念!!!
と高校生ながらにツッコミたくなった記憶があります。。。

投稿者 かえる : 2006年6月21日 21:55

僕もあの映画のそばかすだらけのテイタム・オニール、好きでした(こんな事までも…)。健気にがんばっちゃう女の子が好みなんで…(笑)。
僕はもとは新潟ですが、すでに四半世紀浦和に住んでいるので、すっかり埼玉県人です。

投稿者 wanrei : 2006年6月22日 22:07

wanreiさん
ぬぬ、恋敵発見!
まあ、たぶん当時世界中で我々の恋のライバルは数十万人以上いたと思いますけどね。
ちょっと蓮っ葉なんだけど、健気でカワイイかったですよね。

浦和にすでに四半世紀ですかぁ、けっこう長いですねえ。
ほぼ埼玉県人、ですな。

投稿者 かえる : 2006年6月23日 00:02

コメントしてください




保存しますか? はいいいえ